洗面台

 今住んでる家は、賃貸によくある、お風呂場に洗面台と鏡が入っているユニットバスを持っている。あれ、なんか英語の直訳みたいでおかしいな。まあとにかく、そういうユニットバスなんだ。
 そういえば少し前まで、ユニットバス=風呂とトイレがセット、っていう言葉の定義なんだと誤解していた。お風呂場がユニット構造になってるだけであって(たいていアイボリー色の箱みたいな浴室だ)、その中にトイレがつくかつかないかは別の話みたいだ。


 まあそれで、いつも風呂上がりに、バスタブを洗うついでに、床とかその洗面台とかをざざっと洗う。シャワーで流す。洗面台の小さな排水溝に泡と水が流れていく。洗面台の排水パイプって、必ず曲げてありますよね。ループみたいになってたり、L字だったりして、その途中が開けられるようになっている。ものを流してしまった時の救済措置だったと思うんだけど。


 今日はなぜか、「そのパイプが直線の洗面台、を持ってる家に住んだらどうなるんだろう」と、風呂を洗いながらわりと真面目に考えた。
 おそらく9割7分くらいは普通に生活できるだろう。歯を磨き、顔を洗い、身繕いをする。コンタクトをつけたり外したりする。手を洗う。アクシデントでコンタクトを流したりする(最近はしないけどね)。まあそれは想定できる範囲の失敗で、コンタクトは2ウィークの使い捨てだから、3日しか使ってなくてちょっと残念、だけど次の封を開ければいい。
 ただし、うっかり指輪を流してしまったりする。と、気づいた瞬間にはもう手遅れ。あっという間のスピードで、とあるものの存在がなかったことになる。
 ほぼ100%に近い確率で日常はぶじに過ごせるんだけど、そういう事故が起こった時に、今までの日常があるきわどいバランスの上に成り立っていたものだということを理解する。


 幸い、家の洗面台はパイプが曲がってるから大丈夫で、これは実験的思考か比喩的な表現でしかないんだけど。生きることと、それに伴う行動は、総じてそれくらいのバランスを内在したものだと思っている。時々、自分がある道のりを経て、今この場にいることを不思議に思う。
 私はジェットコースターに乗ろうと言われた時には誰にでも必ず、「だって、なんで金を払って怖い思いをしなきゃなんないんだ」という説明をするのですが。怖さをお金で買うなんて、どんなブルジョアですかと。
 だってお金を払わなくても、日常がそもそも怖いものじゃないですか。


 いや、別にジェットコースターが怖くて乗れないから言ってるわけじゃないよ。